チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

いろいろと合わない

ヨリミチが自分で思っている『実家の味』は味噌汁で、煮干しが入っているもの。
自分で味噌汁を作るときは必ず煮干しを入れるし、頭もワタも取らずにそのまま入れておき、具のひとつとして(特にカルシウムを摂れるという思いで)食べてしまう。
このスタイルの味噌汁は母方の祖母が作る味噌汁で、祖母のは煮干しがたくさんだった記憶がある。それは祖母と同居していた伯父が築地の魚市場に出入りする仕事に就いていたから魚を安く買えていたのか、それとも祖母は雪国育ちだったので乾物を大量に使う習慣があったのか。
幼少期は煮干しのワタが苦くて嫌々食べていたし、実は今でもワタは好きではないのだけど、それでも味噌汁には丸ごとの煮干しを入れないとどうも物足りなく思ってしまうのだ。

私がこんなに味噌汁を好きなのだから、母も味噌汁を好きなのだろうとずっと思っていた。だって私が好きなのは母の母(= 祖母)の味噌汁なのだから。
それで何年か前のことなのだけど、母と夕食のおかずの話(あと1品ほしいとか、あの野菜はどうしようか、というようなこと)になったときに、私が『それなら味噌汁にすればいいじゃん』と言ったら母が『味噌汁は作りたくないんだよね。暑いし、それに好きじゃないし。』と言うのだ。
私はずっと『私はおばあちゃんの味噌汁が好きなのだから、お母さんもおばあちゃんの味噌汁を好きなはず』と思っていた。が、全然違った。好きではないというよりは、どちらかと言うと嫌い、のようなニュアンスだった。
どうりで母は汁物は顆粒だしとか麺つゆでサササッと作ってしまってまるでどうでも良いような扱いというか、『とりあえず汁物の形になっていればいいや』のような感じなのだ。
私は高級だとか上品な出汁は求めないけれど、味噌汁には具を3種類以上入れることを心がけていて、『仮におかずがなかったとしても白米と味噌汁だけでどうにかなる状態』というのを考えている。なぜ3種類なのかというと、20歳前後のことだったと思うのだけど、かなり辺鄙なところで登山をして山小屋に泊まったときに、そこの食事に出てくる味噌汁が『具は3種類以上』がモットーだったのだ。
その山小屋はきっと今でも辺鄙なままで(というのを想像できるくらい辺鄙な場所だった)、食材や水は簡単には調達できないはずなのに、登山者の楽しみは食事なのだろうし、この先の行程に必要なパワーチャージをしてもらうためにということで具材たっぷりの味噌汁を出してくれる。
そんな山のてっぺんで『具は3種類以上!』なんて言っているのだから、平地で生活しているヨリミチがそれより少ない具の味噌汁を作るわけにはいかないというか、あの山小屋の味噌汁に感動したのでそこを目指しているというか。

なのでヨリミチが作るそうめんのつゆも煮干し入りで、しかもちょっとした具入り。


これは・・・エリンギと大根と人参かな。
その昔、置き薬でお世話になっていた薬屋さんが『夏は食欲がなくなっちゃうからそうめんをツルツルッと食べて終わっちゃうかもしれないけど、つゆにハム1枚でも入れてスタミナつけないとだめだよ』と言っていたのでヨリミチが作るそうめんのつゆは煮干しと野菜とか、ハムと野菜とか、そんな感じになっている。
これも母は『暑いのにガス使うのはいやだよ』と言うのだけど、私にしてみれば鍋に少な目に水を入れた状態のところに煮干しを入れて火にかけ、それから野菜を切って投入し、野菜に火が通ったところで醤油を入れて濃い味付けにして終了。そして食べる直前に氷をドバドバッと入れれば冷たいつゆになるので涼しくいただける。
それを母は『この暑いのに・・・』と言って濃縮麺つゆ+水。多少の薬味を入れるとしても、食事がほぼ炭水化物になってしまうので、それじゃあ野菜か果物を切って出そうか?のようなことになることもあるし、私にはそちらのほうが面倒くさい。

母と私では味の趣味もかなり違うし家事の段取りも結構違う。この母から生まれ、ずっと同じ家で暮らしてきたのに。

でも実家は母が健在なうちは母(と父)の家なので、ヨリミチは手出し口出しをせずに見守るのみ。
女同士だとか親子だからと言って共感できないものや重ならないものは結構ある。
母が味噌汁を好きではないというのは何十年も知らなかった事実だし、その逆に私が茄子を好きではないということを母は何十年も知らなかったのだから。
他にもいろいろ。
でも茄子が嫌いということを親に悟られずに成人してしまった子どもというのもどうなの?!という気もするけど。

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