チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

タイ人(男)と日本人(女)の結婚  - 7 -

だいぶ時間が経ってしまったけれど、一応これがシリーズ最終章のつもり。

今回は結婚後のいろいろ、について。

無事に日泰の役場で手続きを済ますことができ、書類の準備から5ヶ月ほどで私とオットは法律上の夫婦となった。
しかしお互いの国でお互いが配偶者であると登録されても、即時に同居生活が認められたわけではない。この状態になってもオットの居住地はタイ、私の居住地は日本。

どちらかの国で同居するなら、居住する国の入国管理局にビザを申請し、承認されなければ身分としてはただの旅行者のまま。
我々は私がタイに住むほうが合理的だろうということでチェンマイの入国管理局で私の居住ビザを申請することにした。

実はそれをするにも個人レベルでは事前に調べきれなかった条件があり、2度目の申請でビザ発給に辿り着けた。最初から業者に頼めばそのような躓きはなかったと思うけれど、それだと『普通の人が見落としやすいポイント』に気づかなかったどころか、その存在にすら気づかなかった可能性もあるので、人生はまだ長い(だろう)ということを考えるとむしろ躓いて良かったと思っている。
そのように苦労して取ったビザもこのコロナ禍の影響で期限切れになってしまった。
なのでタイに居住(長期滞在)するためのビザは次の渡航の際に取り直さないといけないのだけど、一応するべきことはわかっているのでまあまあ気が楽。


ところで、私が結婚したことで周りの人から『おめでとう、よかったね。親御さんも安心したんじゃないの?』とか『親御さんも喜んでいるでしょう?』ということをよく言われたものだけど、果たして私の両親はどう思っていたのやら。

母はなんとなく喜んでいるような様子はうかがえたけど、父は・・・。
私が思うに、父は理性では親として喜んでいるけれど、感情では許さん!という感じ?!典型的な『娘の結婚を阻止しようとする父親像』というのか。

私が結婚を視野に入れて年に何度かタイに行っていたときも、父は私がタイから帰ってくると非常に不機嫌なオーラを纏っていて、何週間かはその状態で過ごす。そしてその機嫌が元に戻ってそろそろ平常運転かな、という頃にまた私がタイに、というのを何年か繰り返した。
私の結婚後もオットとの別居婚状態だったのでそれは変わらず、父の心の一部には『わけのわからないタイ人とは別れてずっと家にいればいいのに』というのがあるように思えた。
だけどそれは父の本心というよりは、たとえばよその犬をかわいがった飼い主にやきもちを焼く犬、のような感じ。人としての理性はその奥にあると思っていたので、私は父のご機嫌取りをするようなことはしなかった。

そんなふうにして何年かが過ぎたあるとき、私のいとこが離婚をした。
私はそれを知ったときにそれほどショックを受けなかったのだけど、父にはかなりの衝撃だったようで、母や私に『○○(←私のいとこ)は小さい子供もいるのにナントカカントカ・・・云々』と結構な愚痴(?!)をぶちまけた。父には父の考え方があって、それはそれで私にも共感できるところがあるので否定はしなかったけれど、私にはいとこの離婚も否定しようとは思えなかった。私の目にはその1~2年前から『あれ?これは・・・』と思うところはあったし、いとこだって相当の覚悟をもって離婚に踏み切ったのが想像できたので。
だけどいとこの離婚の衝撃が父の感情に変化をもたらしたようで、私への風当たり(?)は弱くなった。私が知る限り、それまで父と近い関係の人で離婚を経験した人はほぼいなかったので、いとこの離婚は父自身が想像以上にショックを受け、そのショックを受けた自分の状態にもショックを受けた、くらいのダメージだったのだと思う。
自分の子供でもない立場の人の離婚でさえそんなふうに憤り、悲しみ、やり場のない感情が溢れてくるのだから、自分の娘の結婚を素直に喜ばずに、ときには娘の存在を見ないふり、認めないふりをしていた自分は何をしていたのだろう、と思ったのかもしれない。

そんなことがきっかけで、父と私は昔のような良好な関係に戻ったけれど、それがいつまで続くのかは誰にもわからない。
今後私がタイに行き、そして実家に帰ってきたときに父はどのような態度になるのやら。
また拗ねた犬のようになってしまうのか、それとも成長して『いつもの父』でいてくれるのか。

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