チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

果実が食べ頃かどうか

ある日オットといつもの市場でバナナを買おうとしていたときのこと。
オットは台に並べられたバナナを品定めしていた。
そのお店は品物の回転が良く、毎日新しい物が並べられているので、ヨリミチとしてはそんなにまじまじと見なくても問題ないと思っているし、お店のおばさんとオットは顔見知りになっているのだから、変な物は売らないはず、と思っている。

見た感じではバナナの大きさ(重さ)で値段が決まっているようなので、自分の消費するペースを考えて適当な大きさの房の物を買えば良いだけの話だと思うのだけど、神経質なオットは何やらいろいろ考えて自分が納得した物を買おうとしている。

そんなオットとバナナの向こうに、ヨリミチはザボン(ソムオー)を見つけた。

なのでオットに『ソムオーも買おうよ』と言ったら、バナナに夢中なオットは『え?ソムオーあるの?』とキョロキョロしている。
ソムオーはそんな近くではなくて、お店のおじさんの向こうにあるんだけど・・・。

で、オットはおばさんに『あのソムオーはもう食べられるの?』と聞いた。
・・・っていうか、あそこにある時点でもう食べられる状態だと思うんだけど・・・。
だって、おばさんたちは市場に出せる(売ることができる = 食べられる)物をわざわざ運んで来ているのだから、『そこにあるのに食べられない』という物は基本的にはないと思う。
オットはソムオーにはあまり興味がない人なので、おかしな質問をしてしまったのかもしれないが。

で、それを聞いたおばさんの返事が
ลูกลืมต้น (=果実は木を忘れました)

オットはそれで意味が通じたようで、そこからひとつ選ぶことにした。

その日は小雨がずっと降っていたので市場には長居せず、果物を買ってすぐに帰った。

ヨリミチはザボンをすぐに食べたかったわけではなく、取り敢えず買って家に置いておき『いつでも食べられる状態』になればそれで良かった。
なので帰ってからは玄関の近くで何かをしていたら、なぜかオットがそそくさとザボンの皮をむき、薄皮も取って保存容器に入れた物を持って来てくれた。

どうも『ヨリミチさんは今すぐに食べたいから市場で目ざとくソムオーを見付けたんだ』と思っていたようで、甲斐甲斐しく皮を剥いてくれたのだ。
そんな状態になったらもう食べるしかない!
というか、ありがたくいただくことにする。
でも全部食べてしまうのはもったいないので少し食べて(と言っても結構食べた)、あとは蓋をして冷蔵庫に入れた。

それで市場のおばさんの『ลูกลืมต้น』なのだけど、オットの説明によるとその言い回しは木になる果実が熟れたかどうかというのを表していて、まだ熟れていないとか味が薄いときには『果実はまだ木を覚えています(忘れていません)』つまり『子どもはまだお母さんから離れられません』のようなニュアンスで、食べても美味しくないですよ、ということ。
食べ頃になったら『果実は木を忘れました』となり、実は実として味や甘さは果物として充分な状態になりました、ということらしい。

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