チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

なんとなく

最近オットが使いたがっている日本語は・・・


『なんとなく』。


以前は『そこじゃあないんだよな』というところで使ったり、『それは「なんとなく」じゃなくて「確実にそう」でしょ?』という状態なのに使ってしまったり。

でも『なんとなく』というのはその言葉を母語としている日本人が発して、それを受け取る側もニュアンスを察して成立する状態でもあると思うので、その『なんとなく』の真意や背景を明確な言葉で説明するとなるとそれは『なんとなく』ではなくなってしまうような気がするし、説明ができないからこその『なんとなく』でもあると思うのだ。

その言葉をオットはずっと使いたがっていて、最近ようやく『そのくらいなら「なんとなく」っぽいかな』というレベルになった。
なのでこれからは場数を踏んで、その言葉が自然に出るようになれば合格・・・?

一応タイ語でどんな感じなのかと思って辞書をひいたら『ยังไงไม่รู้』(=何でだかわからないけど、理由はないけど)が近いかな、というところ。


そしてオットが最近諦めた日本語は『情けない』。

これも日本人独特の精神が表れた言葉だと思うのだけど、オットは『かわいそう』とか『悲しい』のように捉えていて、それは他者に対する感情だけれど(それに意味合いもちょっと違う)、情けないというのは自分に対する感情のときにも使う言葉で、その場合は他者を見て思う『情けない』とは意味が変わってくる、という説明をした。
例えば、ドラえもんの話の中で、のび太くんが犬に吠えられてブルブル震えていたら『あいつは情けないなぁ』と友達に言われる。それは自分がのび太くんに対して思うこと。
一方で自分がゴルフに行ったとして、『このくらいで回れる』と思っていたスコアよりもすごくオーバーしてしまったときに『情けない』と自分に対して思う。

というような説明をしたのだけど、自分に対する『情けない』は悲しいという感情もなくはないけれど、それ以上の後悔とかある種の恥じらいとか失望とか、いろいろななものが重なり合う感情で、自分に対して思うことではあるけど他人に対して思うこともなくはないし・・・。


使う場面によって意味が違うけれど、それは日本人ならだいたい理解できる、というくらいしか説明のしようがなく、オットに『察して下さい』と言ったところで間違った理解をされても困る。
なので『この言葉を使うときは「表(前面)」にある気持ちではなくて「裏の裏」くらいにある気持ちがあります』と言ったらオットは納得してくれた。と同時に自分がその言葉を適切に使える気がしないと言って素直に(?!)諦めてしまったのだけど、それはそれで正解かもしれない。

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