チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

『くせ』を説明したい

先日オットは私のように日本に一時的に退避している友人から LINE で依頼されたことがある。

チェンマイ在住時に習っていたタイ語の先生から手紙を受け取ったのだけど、手書きの文字を読むことに慣れていないので早速躓いてしまったので、その手紙を読んで音声メッセージで返信してくれませんか?と。

しかしオットはその依頼の文章を勘違いして理解し、添付されていた手書きのお手紙の文章を LINE の画面上にタイプした。
そして、自分が入力した文章を Google翻訳で日本語にして友達に送った。

まあご苦労なこった、という感じなのだけど、一応はそれで解決したもよう。

オットは友達から送られてきた手紙の画像を LINE のマイクに向かってただ読めばよいだけだったのに。

お友達からのメッセージによると、『手書きの文字は"くせ"があるので読めません』ということなのだけど、オットにはそこで使われている『くせ』の意味が解らなかった。

くせ、癖、というとだいたいの場合で良い意味では使われないけれど、文字の場合の『くせ』はそこまで悪いこととは言えない。直したほうがよい『くせ』もあるけれど、そうでもない『くせ』もある。
今回の手紙の場合は明らかに後者なので、『個性』に近いのかもしれないけれど、そんなに『くせ』のある字ではないし、むしろ美しい文字だと思う。

なのでオットには『タイプライターの字とは違うから外国人には読むのが難しい』と伝えたのだけど、『くせ』についてはオットにきちんと伝わった気がしない。

それに『髪に寝癖が付く』とか『くせになる味』というふうに使うときの『くせ』は状況としては独特のものがあるし。
工作などで紙や紐に『くせを付けておいて、云々』というときは良いこととか悪いこととは別次元だけど、文字の『くせ』とは通じる部分がなくはない。

日本人が相手なら『まあ、なんとなく察してよ』と言いたくなるところだけど、相手がタイ人だと察してくれた結果が間違っていたりしたら相手にも自分にも良いことはないし、その後の関係にも影響してきそうで反って面倒。
そもそも『なんとなく』だって、オットはその曖昧な感じを理解していないと思うし。

今回の『くせ論議』だって、ああでもない、こうでもないとお互いにいろいろなことを言い合った体験だけが脳に記憶として残り、中身は案外残らないもの。
でも我々の会話は98%以上は日本語なので、ヨリミチがもっとタイ語を学習すれば意見の擦り合わせもラクになるはず。
それが解っているからこそ私にはオットに申し訳ない気持ちがあり、今は日本語でいろいろ説明しようと試みているのだけど・・・

平仮名だとたった2文字の『くせ』だけれど、それこそ癖のある言葉というか、いろいろな使い方があって、外国人に説明するのは難しい。
と思うと同時に、多様な変化をする日本語って面白いな、とも思う。
そのへんもオットが日本語を学習するモチベーションになっているのかもしれない。

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