チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

机を動かすことと国際結婚

ヨリミチ実家に甥が転居してくるので、ヨリミチの物となっていた机(父が高校の実習で作ったもの)を甥に譲るべく、隣の部屋に移した。
↓(机を動かすことを決めた話)
https://c-m-yorimichi.hatenablog.com/entry/2022/03/03/190338

引き出しの中身や机の上に置いていた物は案外少なく、段ボール箱2つの中にユル~く納まった。
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そして机を運ぶのだけど、隣の部屋の入り口は母の嫁入り道具の箪笥がはみ出しているので狭くなっている。なのでベランダ経由で隣の部屋に。
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それを独りでやってしまうヨリミチ。
これだから重いスーツケースをゴロゴロしながらチェンマイに行ってしまうわけだし、ついでに言えばスーツケースの場合はキャスターが付いているのでヨリミチ的には『自力で運ぶと言うよりはコロコロが運んでくれる』という感じ。

なぜ重い物でもある程度なら自力で運べてしまうのかというと、幼少期から父に連れられて登山をしていたからだと思う。妹は山は辛かったというけれど、私は結構楽しかった。
昔の登山道具はリュックも服も他のどんな物もそれなりの重さがあって、それらを身に付けて登らなくてはならなかったのだけど、それでも私は楽しかった。

そんなわけで体幹なんていう言葉が一般的になるずっと前から体幹が鍛えられ、山ガール(既に死語か?!)という言葉が生まれるウン十年前にはもう山ガールで、『自分の物は自分で運ぶ、自分の身は自分で守る』のような考えが自分の中では当たり前になってしまい、独りでヒョコヒョコ海外に行っていたらオットと知り合って挙げ句の果てに(?!)結婚してしまった、ということになったのだと思う。

実は今でも父は長女(ヨリミチ)の結婚には快く思っていないところがあるのだけど、過去を遡れば『リュックを背負わせて登山をさせてしまった』ことが国際結婚への序章になってしまったのだから、『そんな遠いところに行くな(外国人と結婚しなくたっていいんじゃないの?)』と言われても(実際に口に出して言われたことはないけど)、『原因はお父さんにもあります』と言いたいのだ。

私としては登山は総じて楽しかったし、その先の人生だって辛いことがなかったわけではないけれどだいたい楽しめているし、きっとこの先も楽しいんだろうなぁ、と思っている。

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