先月のタイ渡航前。
自分自身の用事をこなす事を諦めて買い物や荷造りに精を出していた頃。
夜になると父が寒い寒いと言う日が数日続いた。
父は毎晩お酒を飲むし、年齢も年齢なので感覚が鈍るというか体温調節がうまくいかないとか、そんな感じなのだろうと思っていた。
しかしある日、熱っぽいと言うので体温計で測ったら38.3℃。
これは本当に体調が悪いんだ!と思って様子を見ていたら、やはりその日はいちばん身体が堪えていたようで、一旦は布団に入ったものの『何か薬を・・・』と言って起きてきた。
それで鎮痛解熱剤を飲んで再び布団に入ったのだけど悪寒で眠れないと言い、しかも本人の感覚としては『寒い』のでまた体温計を出したのだけど、今度は体がガタガタ震えて脇に体温計を挟めず測定不可能。
その時点で午後10時。
ヨリミチは『これは救急車を呼ぶレベルだな』と思ったのだけど、母はその様子を見ていないので『寝てれば大丈夫でしょ』などと言っている。
だけどそんなに悠長に構えていて助かるものも助からなくなってしまってはどうしようもないので少し強めに『救急車呼んで!』と母に言うと『あなたが電話かけてよ』というようなことを言うのでヨリミチが救急車を呼び、ほどなく救急隊員が到着。
付き添いには母が同乗し、日付けが変わってから病院に入ったという LINE があった。
父が高齢なら母も高齢なわけで、普通に考えればヨリミチが父の付き添いをしても良いのだけど、一応母はまだしっかりしている(と本人が思っている)のでできることはやってもらおうと思っているし、母がヨリミチか妹に頼んでくることがあればもちろんサポートをするというのが現在の実家ファミリーのスタンスなので母に付き添いをしてもらったわけで、ヨリミチも母が帰宅するまで起きて待っていた。
すると母は思ったよりも早く戻って来て、『取り敢えず今日は寝よう』ということになった。
母によると父は救急車の中でわりと体調が戻り、病院に着く頃には『普通の人』になっていたらしい。
けれどヨリミチの想像どおり、過去の病気の影響で内臓のある部分が炎症を起こしていて、投薬や手術で対処はできるけれども年月が経てばまた同じような症状が出るだろう、という数年前にも経験したのと同じもののようだった。
母はその過去の事との繋がりをどの程度理解しているのかわからないし、今回の発熱の原因となった過去の病気のことも『あれ?いつだったっけ?』のような状態なので救急隊員や医師と話してもちぐはぐな内容になってしまっていることが想像できたので、午後になってから父の入院に必要な物を届けに母とヨリミチ2人で出掛けることにした。
ヨリミチはタイに発つため翌日の早朝出発することになっていたのだけど、父の状況によってはキャンセルしたほうが良いのかなぁと思い、搭乗日の変更やキャンセルについて調べてみたのだけど、その日にキャンセルしても翌日(搭乗当日)キャンセルしても条件は同じだったので、航空券については翌日まで何もアクションを起こさないことにした。
そして病院からの連絡を待ち、指定された時刻に面会に行ったら父はまだ検査中。
深夜の緊急入院だったため、そのときに入院手続きをしながらしばらく待機。
すると検査をしてくれた医師が表れ、説明をしてくれたが、やはり過去の病気から来た症状だろうということで、昨夜からの投薬で炎症は収まっているらしいとのこと。
そこでヨリミチが過去15年くらいの父の病歴などを説明し、『本人もこのくらいの話なら記憶があるはずなので、目が覚めているときに聞けばしっかり答えると思います』と付け加えた。
それから父の様子を見に行ってくれた看護師さんが『もう話ができますよ』と言うので部屋に行くと、父は廊下側のベッドに寝ていた。
なので廊下から『お父さん、来たよ!』と言ってみたら父は目を開けてこちらを見た。それを見た医師は『やっぱりご家族(の声掛け)だと反応が違うねぇ』と言っていたが、天邪鬼なヨリミチは『麻酔が切れてきてだんだんしっかりしてきたからじゃない?』と思ってしまった。
そうは言っても父はまだ夢うつつのような状態なので、テキトーな話をして『じゃあ、もう夕方だから帰るね』のような感じで部屋をあとにした。
ヨリミチの感覚としては受け答えはおかしくないし熱もないようだったので、『今日のところは安心』という感じ。でも高齢者なので急変というのはあるかもしれないけど。
そして帰宅後、スーツケースと体重計を引っ張り出して荷物の準備。
今回はスーツケースと段ボール箱と肩掛けバッグとデイパック。重量は25キロ+7キロ。
オットには父が夜中に入院したと伝えてあるので場合によってはチェンマイ行きが延期となることを理解していると思うけれど、それでもヨリミチがチェンマイに行く意思はあるというところを見せておかないと本当にチェンマイ行きが延期になったときに『最初からそのつもりだったの?!』と言われかねないのでこんな画像を送った。↓
母もヨリミチが日本に残れば安心ではあるけれど、ヨリミチのオットに申し訳ないという気持ちがあるようで、ヨリミチの予定を変更することを望まなかった。
なので粛々と準備を進め、スーツケースと段ボールで約25キロ、手持ちの荷物が約7キロになるように調整した。
夜が明け、それなりの時刻になったので『じゃあ行くね』と言って実家を出て空港に向かったが、数時間後の搭乗までに病院から呼び出しの連絡がないとは限らないのでなんだかこちらも本当にチェンマイに行けるのか半信半疑な状態で、取り敢えず家を出たものの『もしかしてどこかでUターンするのか?!』という気持ちはあった。
でもいくつかの交通機関を乗り継いで空港に着き、スマホを確認してみても母からの LINE は受信していない。
タイ航空のカウンターには長蛇の列ができていて、そこに並んでいる途中で母に電話をかけてみたけれど繋がらず、でもそれは緊急事態なのではなくて疲れて寝ているのだろうと判断し、チェックインを済ませた。
搭乗時刻になっても母からの連絡はなかったので『飛行機に乗ります』とメッセージを送り、取り敢えず搭乗。
座席に着いてしまったらもうチェンマイまで行くしかない。
万が一の場合はチェンマイで荷物を受け取ってオットに会った後、復路の航空券を買ってとんぼ返りするしかない。
不幸中の幸いだったのは、今回の渡航用には往路の航空券しか買っていなかったこと。
つまりいつでも日本に戻れるというか、何も無駄にすることなくチケットを購入することになるのでそういう意味では気楽だった。
そして乗り継ぎのバンコクで LINE を確認したらやはり母は午前中は疲れて寝ていたようで、病院からの緊急連絡もないとのこと。
父の一報を聞いた妹も仕事の休みを工面して、思ったよりも早く実家に行くことができるとのことで、それを知って一安心。
妹がいれば車を出せるので、公共交通機関を使うよりも短時間で病院に行ける。それに母ひとりで病院のことを対応するよりは妹も一緒のほうが医師からの説明なども妹にも正確なことが伝わるので安心だし。
ヨリミチが実家を出て行った翌日、妹が実家に到着し、母の手足となって動いてくれたのだけど、ヨリミチへの LINE が『お母さんの注文が細かくて疲れる〜』だった。日本にいるときはその母にヨリミチが付き合ってるんですけど〜。
で、病院での父の様子や医師との話もヨリミチに LINE で伝えてくれ、それなりに安心することができた。
妹の言うことには、至急に何かをしなければならないことはなく、様子を見ながら計画的に対処できる症状のようなので体調が安定すれば退院という見通しらしく、結局2週間弱で退院となった。
そのときにも妹が実家に行っていろいろと動いてくれたので感謝感謝。
どうも父が具合悪くなるのは親戚の集まりがあるとかヨリミチがタイに行くとか『○○があるとき』みたいなタイミングが多い。別に父が親戚を毛嫌いしていて、とかそういうことではないので意図した発熱(知恵熱とか)ではないのだろうけど、なんだかタイミングが良すぎるというか悪すぎるというか・・・。
この先はどんなタイミングで具合が悪くなるのやら。