チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

ら抜き言葉じゃなくて妙な安堵

今日は午後の変な時間にオットが LINE で画像を送ってきた。
オットからの LINE はメッセージであれ画像であれ、下手に見てしまうと意見や返事を求められたりするので数時間後にオープン。

するとそれは今日のアドベントカレンダーの写真だった。

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今日もかわいいクマが出てきたと言いたげな写真。
それとコメント。

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私はどちらかと言うと『ら抜き言葉』を許せる人ではなく、会話の流れでら抜き言葉を使うときは結構な決意をもって言葉を発している。
ただしこれはあくまでも自分が喋るときにら抜き言葉を使わないように意識しているということであって、会話の相手がら抜きで喋っていたとしてもいちいち注意なんてしないし、方言などでら抜きになるときはそれは自然なことだと思っている。

外国人が日本語を学ぶときは標準語から取り掛かることになるわけだけど、オットはある程度会話をスムーズにできるので、ら抜き言葉というものの存在を知ってしまったら『自然なら抜き言葉を教えて下さい』と言いそうな気がする。特に今回のような『食べられる/食べれる』とか、『見られる/見れる』のように日本人でもつい使ってしまうというか時代の流れによって自然になりつつある口語体の言葉を『自分も使いたい』と思うことは理解はできる。

しかし私はもともとら抜き言葉に否定的な意見を持っているし、オットのことをら抜き言葉を自然に使えるほど普段の日本語を流暢に発語できていないと思っているので、ら抜き言葉を知ってしまうことはむしろマイナスに作用するように思うのだ。

なので今日、オットのメッセージが教科書的な『食べられません』であったことに安堵している。

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