オットとの会話の中でたびたび思うのは、やっぱり日本って平和なんだなぁ、ということ。
その『平和』というのは安全で危険な目に遭う可能性が低く、平穏に暮らすことができるというのが表面上の意味で、もう少し掘り下げると自分の危機意識の低さや状況認識が足りないということになり、誇張して言ってしまえば『頭がお花畑』なのかもしれないというところまで行ってしまう。
言語としての日本語は語彙が多く、擬音語や擬態語などは無尽蔵と言えるくらいある。
それに比べてタイ語は語彙が少なくて、ある文章でも、その文章で想像できる状態はいくつもある、なんてこともある。
だけどそれが英単語をどのくらい使って会話ができるか、というのとイコールではないことに気が付いた。
先日オットと電話で話していたときにウクライナから避難する人の話題になり、オットから『日本に行く人もいるんでしょ?』ということを言われた。
日本は外国人観光客を受け入れていないのにウクライナ人は受け入れるんだね、ということについて、オットは一人の外国人として『日本に入国できる人が羨ましい』という気持ちが心の隅に僅かに存在している。理性では戦禍を逃れるためだから優先的に入国が許されるべきだというのは解っていても、やはり日本に行きたい外国人としては妬みの気持ちも生まれて当然だと思う。
そこで『今回のウクライナからの入国者は避難民だから』ということを話したところで、難民と避難民は状況はそれほど違わないのではないかと思った。
オットには『自分の国ではないところからの攻撃から逃げる人』という説明をしたときに、オットから『refugee のことだよね?!』と言われた。
しかし恥ずかしながら私は refugee という単語を知らず、会話に空白ができてしまった。
でもそのニュアンスから難民とか避難民という日本語を連想でき、『あ、きっとそう。でもカテゴリーがあります』と返事をした。
難民というのは内戦が原因で他所に居場所を求める人。避難民というのは他国からの攻撃(戦争)が原因で他所に居場所を求める人。
今回は難民ではなく避難民だから政府の決断が速かったとも言われている。
日本では難民申請が通りにくいということが問題になっているけれど、私自身、日常生活で『難民』という日本語を発声することは滅多にないし、そのテーマについて誰かと話し合ったりすることもほぼない。結局自分の生活に密着した言葉ではないのでその英単語など気にしたこともなかった。
だけど refugee は他国に逃げる人、という意味合いなのでチェンマイ暮らしのオットの日常ではミャンマーから密入国して来る人や、もしかしたら山岳少数民族も refugee と同じ立場なのかもしれず、その英単語を知っているオットはすぐさま『refugee でしょ?』と言った。
それと同じく tribe(民族、種族)という言葉をオットは知っていたけれど私は学校で習った記憶がなかったし、オットの娘は中学生のときに宿題で traffic(人身売買)についての意見をまとめる、というのもあった。
日本で生活しているとそのどちらも身近な言葉ではないし、tribe ってあの格好いいパフォーマンスグループのこと?!という想像を最初にするだろうし、traffic も車とかで出掛ける話をしているの?と思うかもしれない。
それはそれで平和で良いことだけれど、それ以外の意味も把握していないと外国人と会話をすることになったときに大事なところが勘違いのままで話が進んでしまう可能性があるし、場合によってはとんでもない誤解を生じさせてしまうかもしれない。
以前知人が navy を色の『ネイビー』だと思ったままでアメリカ人と話をして、実は海軍についての話題だった、ということもあった。本人は『どうりで会話がかみ合わなかったわけだ』と言っていたけれど。
会話を終えて、『わはは、勘違いしちゃった~』で済めばよいが、デリケートな内容の場合は相手の感情を逆撫ですることになるだろうし、頓珍漢な返答をしてしまって取り返しのつかない結末になるかもしれない。
日本人どうしの会話のときにも言えることだけど、『何かがしっくりこない』と感じたときにはノリで会話を続けずに、『○○は◇◇という理解でいいのかな?』と少し立ち止まることが大事だなぁ、としみじみ思った。
平和な日本では『平和とは言い切れない状況のときの単語』の認知度が低いし、外国語だと尚更その傾向があるものだし。