チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

自粛○○とかコロナ△△とか

昨年の夏あたりから、たとえば『自粛疲れ』とか『コロナ太り』とか、そういう言葉が使われる場面が出てくるようになった。
それで先月も各地で緊急事態宣言が解除された後(というか、その前からも)、自粛疲れしたという人が一斉に町や行楽地に繰り出し、それと直接的な関係があるのかないのかわからないけれど新型コロナウイルス感染者数が増加に転じている。

個人的には人流が多くなれば感染者も増えると思っている。そしてあるときからは感染経路不明というパターンが多くなって、早い段階で追跡を縮小してしまった保健所もある。そうなってしまってはどのあたりで感染者が多かったのかの想像もつけづらいので私としてはますます外出欲がなくなる。

もしも私が独居だったり、同世代とか年少者との同居生活だったらここまでコロナを警戒しなかったかもしれない。自分が感染したとしても重症化リスクのある人が身近にいないという理由で。
だけど今は後期高齢者の親と同居。なので私が媒介となって親に感染させるわけにはいかないので柄にもなく非常に気をつけている。

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幼い頃から『潔癖』とは縁遠い生活をしていて、ある程度までの状態の食べ物ではお腹を壊したりすることのなかった私が、今では手洗い、うがい、換気を考えながら生活している。
(昨秋はメディアでも換気換気と言っていたけれど、今ではほとんど聞かなくなった。それってどうなの?)

先月、家で使っている機器の点検で業者の人がやって来て、玄関先で手指消毒、マスク着用スタイルで家に入り、1時間ほどあれこれ話をして帰って行った。
こちらからもいろいろ聞きたいことがあったのでほぼ話しっぱなしの時間だったのだけど、久しぶりに家族以外の人と数十分喋ったという事実は、内容はどうであれ結構楽しいものだった。だけどやっぱり業者さんが帰ってからは家の窓という窓を開け、自分たちは手洗い、うがい。
コロナ禍以前はまったく考えられなかったことをせっせとやるようになっていた。

こういう労力もコロナ疲れというのだろうか。
だけど家族の健康を守るためには『コロナ疲れ』だなんて言っていられない。
それにこれを『コロナ疲れ』だと表現するとしても、その疲れを取り、心身をリフレッシュさせるためにどこかに出掛けよう、なんて私は思わない。

10年前の東日本大震災が発生した後に、揺れの大きかった地域で経済の回復が思わしくなく、企業や自治体で専門家を呼んで解決方法を探る、のようなことをしたところがいくつもあった。
その中で印象的だったのは『それ(回復が鈍いこと)は震災だけのせいですか?』という言葉だった。
震災があってもなくても、時間軸がそこに達してしれば今(その時点での『今』)と同じだったのではないですか?ということ。

私はコロナでもそれは言えることだと思っていて、何かがうまくいかないことをコロナのせいにしていないか?ということ。
もちろん直接的に、または間接的に、コロナ禍となったがために状況が変わってしまったという人は大勢いる。
だけど中には以前から何かを仕事や上司や周りのせいにして『疲れた』とか『ストレス太りをした』と言っていた人はいるはず。そういう人は今はコロナのせいで□□ができないとかストレスが溜まると言っているのではなかろうか。

自粛疲れをした、コロナ太りをしたと言っている人には、コロナ禍がなければ今頃どんな生活をしていたはずだったのか、聞いてみたい気がする。

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