チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

日本人の頭では追い付けない

オットの長姉の娘(つまり、オットの姪)は2年ほど前に同業種内で転職し、イサーン(タイの東北地方)に住むことになった。チェンマイにいたときもそれなりに安定した稼ぎがあったとは思うのだけど、イサーンでは倍くらいの収入になるとかで、あっさりと転職・転居してしまった印象。
姪は幼少期から母ひとり子ひとりの家庭だったのだけど、仕事を定年まで勤めあげた母(オットの姉)には手厚い年金が出ているので母はお金に困ることもないだろうし、母自身もずっとチェンマイに住んでいたのだからチェンマイに友達や親戚も多いはず。イサーンなんて友達がいるわけでもないしその土地に愛着が出てくるような人生ではなかったはずなのに、娘の転職に伴って自分も一緒に引っ越してしまった。
ちなみにチェンマイには親子共同名義の戸建て住宅がある。
日本人だったら持ち家があって娘が転居を伴う転職をすることになったら娘だけが引っ越して、親は悠々自適に自宅で暮らすものだと思うのだけど、オットの長姉に関してはそうではなかった。
タイは娘が親と同居して老後の面倒を見るのはよくあること(日本の『長男が跡取り』というのとよく似たシステム)だけど、まさか引っ越しまで一緒にしてしまうなんて。しかも自宅を空けて。

それで姪は2ヵ月ほど前に今度はチェンライでの仕事を決めてイサーンから引っ越すことになった。
イサーンでの仕事は先週の半ばまでで、チェンライでの仕事は今週末からとのことで、今は束の間のチェンマイ暮らしをしている。

イサーンはチェンマイから飛行機で1時間くらい。陸路だとダイレクトで行けるような道路がないので丸々1日くらいかかる。姉は娘と離れるその距離が不安だったから一緒にイサーンに行ったのかもしれないが、今度のチェンライはチェンマイから車で4~5時間。定期運行バスも頻繁に出ている。そんな場所にも姉は一緒に引っ越してしまうのだろうか。

姉はイサーンに引っ越す前までは娘を出産後まもなくして別れた元旦那の母の面倒をみたり、元義母が入院すればお見舞いに行ったりしていた。別れた旦那はどうしていたのかというと、カンボジア国境近くの海辺の町で再婚し、ずっとそちらで暮らしている。なので日本人的感覚でいえば元義母の面倒を見なくてはならないことなんてない。それに元の旦那にはチェンマイに何人かきょうだいがいるので、ますます姉が元義母に関わる理由がわからない。
私が見る限りではお金目当てというわけでもなさそうだし、宗教上の理由でもなさそう。

さらに加えると、姉と姪がイサーンに住んでいたときに、バンコクで働いている元義姉(!)が姪に車を買ってくれたとか、姪が働きながら大学でも勉強することになったときに学費を全面的に支援してくれたとか、私の理解が追い付かないことがたびたび起こっていた。イサーンに行って収入が倍増しているはずなのに、そういう人に対して金銭援助をするもの?長姉の元旦那の実家はお金持ちだそうで、だからなのか元旦那は姉と結婚しても全然働かなかったので別れたというふうに聞いたのだけど、そんな働かない元旦那の親族と40年以上もつながりを保つなんて。

明日はオットと次姉が長姉&姪と一緒に食事をするそうだから、長姉の身の振り方も話題にのぼるだろう。
長姉は、チェンライに行ってしまうのかどうか。イサーンもそうだったけど、住宅は社宅のようなところになるだろうからあまり広くないはず。もしかしたら長姉はチェンマイとチェンライの二重生活をするのかな。

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