チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

自己紹介的な、あれこれ

この記録ブログは『私』の立場で書いていて、チェンマイでのできごとではある程度登場人物が絞られのるので、そのへんを整理。

私のオットは5人きょうだいのいちばん下。
姉が3人、兄が1人。
両親はともに亡くなっているので私は会ったことがない。

姉R - 長女。看護師を定年まで勤めあげた。
娘を出産後すぐに離婚したが、年老いた義母の面倒を今でも見ている。ちなみに娘も看護師の道へ。

姉P - 次女。オットの家から郊外へ車で30分くらいのところに住んでいる。とても穏やかで動物が大好き。夫Wは観光用バンの運転手。夫Wは兄2人、妹1人でW以外は全員公務員。なぜか自分だけ自由な職業に。典型的なタイ人気質で、お金のある人にぴたりと寄り添って、奢ってもらうのが大好き。

姉E - 三女。自由奔放な仕切り屋。学はないが他人の懐に入るのがうまく、世渡り上手。しかしこれからの時代、引き続きその手法でやっていけるのかはナゾ。いざとなったらお金持ちの娘をあてにしそう。
日本の永住ビザを持っており、今は日本にいる時間のほうが長い。

兄S - 長男。幼い頃から線が細く、身体が弱かったらしい。
2年半ほど前に亡くなった。

オットO - 日本語を喋れるが、検定試験を受けたりしたわけではないので実に中途半端。小学生で父親を、高校1年で母親を亡くしているので姉たちが親がわり。姉への不満や文句はいろいろあるが、育ててくれた恩義やタイの風習(親族の年長者には絶対従属)があるので逆らえず。

前妻B - オットの前妻。出産しても自分の生活のリズムを変えたくないと、オットに休職(ほぼ退職)させたり、子供の幼稚園送迎をさせたり。挙げ句の果てには仕事もお金もない人はイヤだと言って離婚。オットとは10年くらい険悪な関係だったがのちに和解。というか、娘の養育費や学費を払わせるための計画的和解か?!

娘D - わがまま放題に育てられたらこうなりますよ、という見本のような中身と外身。タイ人によくある信仰心の深いところもあるので、天使のような子供だったがそれも小学生時代まで。中学生以降は神にも見放されているような。高校までは母親の勤務する学校に通っていたので『親が教員』という権威(←タイにはよくある)に守られてぬくぬくと育ってきたが、大学生になった今はそのツケに苦しんでいるもよう。


というのがチェンマイでの親族関連。
他にもご近所や従姉妹の皆さんとの付き合いがあったり。

タイというのは本当に不思議な国で、庶民に於いては結婚そのものにしっかりとした意味があるのかどうかわからない。離婚率が高いというが(オットのきょうだいは全員が離婚経験者)事実婚もかなり多く、事実婚もタイ人どうしなら周囲の人々も『結婚』として認めていたり。
そんなわけなので、法律的には未婚の母が多く、父親が別々のきょうだいというのもそこらじゅうに存在する。
一般市民は娘が結婚しても自分の親と同居して老後の面倒を見ることが普通で、マスオさん状態の男性は珍しくない。それが何世代も続けば必然的に女系家族になり、家庭・親族内では女性の立場が強くなる。

私はオットと結婚したけれど、オットと知り合う何年か前に『おひとりさまで生きていくのもアリかも!』という境地に達していたし、オットと知り合った時点でオットはバツイチ子持ちというのも知っていたし、お互いに年齢も年齢だったので、こどもをつくらない(授かることを望まない)結婚だということは暗黙の了解。
そういうスタンスだしタイ人と日本人では結婚という制度に対する認識も違うということも感覚的にわかってきたので、この結婚もある日突然終わることもなきにしもあらず。だけどそうなったとしても、それさえも記事のネタにできそうだなぁ、なんていう悟りを得てしまった。

タイ人女性がお金目当てで外国人と結婚するように、オットももしかしたら日本人と結婚することで金銭的に豊かになることを夢見ていたかもしれない。ところがどっとい、私には他人を面倒見るような金銭的余裕はないのでオットの懐事情は厳しくなってしまったと思う。なぜならタイ人によくある見栄っ張りで(?!)、私と一緒にいるときは私の分の食事代まで払ってしまうから。しかもオットはいつも多めに頼むし。

今後無事に私のビザが取れれば行動の制限もやや緩くなるので小遣い稼ぎくらいはできるようになるかもしれない。そうなったら少しずつ還元できればいいなぁ、と思っている。

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