チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

実家暮らしのストレス

全然自慢になるような話でもなく、むしろ逆なのだけど、わたしは実家暮らしを脱出したことがない。

会社員生活を送っていたときも実家から通っていたし、その後学生という身分に戻ってから転職することになるのだけど、それでもなお実家暮らしを続けていた。

どこかのタイミングで結婚という分岐点があればそれが実家から出る理由になるはずだったけど、あいにくそういう機会もなく。

しかしあるとき突然タイ人と結婚したものだから、これで実家を脱出することになるのか?と見せかけて、まだタイの居住ビザがないので今の今になっても実家に居据わっている。まあ、現状としてはタイに居住できるように少しずつ動いているところだけど。

 

そんなふうにずっと実家に(しがみついて)いた長女なので、母は私のことをかなり家事のできない人だと思っているようで。

しかし現実はそんなことはなく、母は昔からだいぶ自由な人だったので家を空ける機会が多く、最初のうちは祖母に留守番を頼んで家に来てもらったりしていたが、私が高校生くらいになると、次第に留守番も頼まなくなった。

中学生くらいのときには長女のサガで、母不在のときは家事全般をできるようになっていた。母に教わった台所仕事は『炊飯器の使い方』くらい。家には糠床があって、小さいときからなんとなくそれを見ていたので糠漬けもできるようになっていたし、料理は普段の食事を摂っているものを再現すれば良いだけだったし、洗濯は洗濯機がやってくれる。

なので社会人になる頃には家事といわれるだいたいのことはできるようになっていたし、大人になってから母に聞いた『料理』は蕨をどうやって食べればいいのか、ということだけ。

つまり母は私に炊飯器の使い方と蕨の処理しか教えていないので、私のことをかなり家事スキルがないと思っている。 

だけど母の家事を近くで見ていると、私なりに思うところが結構あって、ここをこうしたら良いのに、とか、どうしてそうやるんだろう、と思うこともあった。

母は母なりの考えでそういうやり方になっているのだろうし、私が何か言おうとしても、家事ができない(はずの)長女からの意見は聞くに値しないもの、という空気が感じられた。

私も私で、考え方の違う人とはあまり接点を持ちたくない性格だし、そういうところから派生して、一家に主婦は2人いらないと思っているので母と一緒に台所に立つことはずっとしなかったし、この先も何かない限りは並んで台所に立つことはないと思う。


チェンマイではほとんど料理はしないけれど、食事をすれば多少なりとも洗い物が発生するのでそれなりにするべき家事はある。

オットは私がいないときは独り暮らしなので家事スキルはそこそこ高いのだけど、私がチェンマイにいるときは私に任せてくれる場合が多くなる。

なので私は私なりのやり方でひととおりの家事をすることができ、そういう意味ではストレスはない。


しかしその生活をした後に実家に戻ってくると、やはり母の家事が気になって仕方ない。

こちらは居候の身なので今さら口出しはしないが、台所のこと、洗濯のこと、掃除のことなどいろいろと目についてしまう。

だからと言って私が家事(と言われるもの)をすると母の気に障るようで、そうすると私の気持ちの持って行きようがない。

結局私がストレスを抱えるかたちで手出し口出しをしないのがいちばんうまく収まる方法なのだけど、実の親子でコレって、親子関係としてはある意味重症なのかも。

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