チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

こんなに楽しみではないオリンピックは初めて

私はスポーツ観戦が好きで、かなりまんべんなくいろいろなスポーツをテレビ観戦する。
なのでオリンピックや世界陸上は夢のような期間なのだけど、東京オリンピック2020は心が躍らない。
むしろ、近づいてきちゃった・・・というような、恐怖にも似たような感覚。

選手の皆さんが活躍する姿を見たいという気持ちはあるのだけど、オリンピックとなると選手以外にもメディアやオリンピック関係者という立場の人が存在するわけで、どんな大会にもそういう人々はいるけれど、やはりオリンピックは最大級に『選手関係者以外の人』が多いわけで。

コロナ騒動がなければ不安だとか恐怖というものはそんなになかったと思う。
でも新型コロナウイルスが話題になってからの1年半、そのウイルスに対する治療薬が出たわけではないし、確実な予防法もない。
2016年のリオデジャネイロオリンピックのときはジカ熱が懸念されていたけれど、それは蚊が媒介するものだったし、ジカ熱による影響は妊婦でなければそれほど大きなものではないとのことだった(と記憶している)ので、対策も方向性を定めやすかったと思う。
しかし新型コロナは収まるかと思いきや、次の波が来たりして、なかなか人間が管理できるものにはなっていない。それどころか変異株が出現してせっかくのワクチンも効くのか効かないのか。

そんな中で世界的なイベントをしてしまうのは、新型コロナウイルスの蔓延を助長するだけのような気がするのだけど。

東京大会、いちどは延期になったけれど、なぜ2度目の延期はなかったのか。
私の個人的な感情としては、こんなに歓迎したくないオリンピックは本当に残念。

いつだったか首相が言っていた『新型コロナウイルスに打ち勝った証のオリンピック』になんてなっていないし、オリンピック担当大臣の言っていた『絆を再認識し、取り戻す』って、その『絆』とはどういうものなのか、具体例を示してください、と申し上げたい。

日本は島国だから水際対策はしやすいはずなのに、感染者のいたウガンダの選手団をなぜか集団で移動させてしまうし、バブル方式で人々の動きを制限し把握するとのことだけど、一般人にも指摘できるような穴が既にたくさんある。

日本国内では半常識となっているような性善説でルールを作っても、それがそのまま外国人に通用すると思っているのだろうか。それを守ることが『絆』の証明?

報道によると、ボランティアスタッフのユニフォームがどこぞのオークションサイトに出品されているそうで、それはもう性善説に頼るとこうなりますよ、ということなのだと思う。


私のオリンピックの記憶は1984年のロサンゼルスオリンピックがいちばん古い。幼少期の記憶としてはもっと前のことも覚えているけれど、『オリンピックとは何か』というのがわかるようになったのがロス五輪だったのだと思う。
そのときは子供向けのアニメも製作されたり、テレビコマーシャルもオリンピックに向けて高揚感のあるものが多かったと思う。
それからはどのオリンピックもわくわく感の溢れるものだったし、早くオリンピックが始まってほしいような、始まったら終わってしまうから始まらないでほしいような。

コロナさえなければ、今は本当に気分の上がる時期だったに違いない。(というか、本当なら去年の今頃。)
テレビ番組もいろいろな特番が組まれたり、テレビ局の枠を越えて面白い番組やイベントなどがあったかもしれない。そして各局でそれぞれ違うテーマソングが流れたり。
新聞は放送予定や見どころ満載の特別紙面が発行されただろうし。


結局開催地の東京では一部を除いて聖火リレーは公道では行われなくなったし、各競技場での競技もほぼ無観客。
大会を開催するにはこれはこれで受け入れるしかないのだろう。

だけど私がいちばん気になっているのは『選手関係者以外の人』の行動。
もしかしたら新型コロナを持ち込んでくるかもしれないし、性善説に基づいたルールを破って行動し、その先でコロナに感染して問題が起こるかもしれない。

もう東京オリンピック開催は決定なのだろうから、政府には一般市民にもわかるコロナ対策を明示して安心材料を与えてほしい。

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