チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

変わっていくと思っていた

オットの娘が小学生の頃から、ヨリミチはオットの前妻と顔を合わせていた。
が、ヨリミチはタイ語が話せないし前妻は日本語も英語も話せない人だったので会話をするとか2人で食事や買い物をするとかはなかった。

そして一昨年、持病のためにオットと前妻のあいだの一人娘が亡くなって、前妻とヨリミチの関係は変わっていくのかな、と思っていた。

娘に関する役場などでの手続きが終わればオットと前妻はせいぜい娘の命日に顔を合わせるくらいか、それすらもしなくなる(そういう習慣がないとか、敢えて別々にお参りするとか)のだろうと。

ところが前妻は近所に複数の姉妹がいるにもかかわらず、関係が薄いというか、助け合わないというか。それは娘が存命の時からヨリミチは感じていたし、亡くなってからも姉も妹も子を亡くした人(オットの前妻)を気に掛けていないように見えるのだけど、それともトラブルか何かがあって前妻が皆さんの気持ちを拒否しているのか。
あくまでもヨリミチの視点でだけれど、状況を考えればどっちもどっちという気がしないでもないが、お互いに『いいとこ取り』をしたいからそれが仇となっているようにも見える。
結局言葉が通じるから意見が合わなければ対立し、期待していた言葉を掛けてもらえないと落ち込んで、だんだんと距離が離れてしまうというのがあるようで、その点ヨリミチは言葉が通じないから前妻が元気がなさそうなら『今日は疲れているみたいね』と、必要であれば傍にいるし、明るい顔をしていればごくごく普通に接するだけ。

最愛の娘を亡くした事について、その気持ちの持っていき方だとか娘の所有物をどうするかとか、姉妹間でも様々な意見があると思うけれども、前妻は自分と違う意見の人には扉を閉ざす向きがあるのかもしれない。
そして一昨年は特に、精神的に平常でなかったから無意識のうちに前のめりになって物を処分するとか職を変えると言ってみたり新しい事を始めてみたり、行動も発言も不安定だった。
なのでヨリミチは娘の持ち物の振り分けなどのお手伝いをしたのだけど、その時点では『娘の物は何も要らないし触りたくない』と言っていた前妻が、何かを境に『取っておきたい』とか『元夫の家に運び込んだ○○がほしい』みたいな事になるのではないかと思っていた。

でも先日、オットと3人で出掛けた時に前妻が寒いと言い出して、車に置いてあったパーカーをオットが『これ着る?』と差し出した。

そこでオット、『これはヨリミチさんが僕にくれたんだけど、娘が気に入ったから最後は娘が着ていたんだよ』と言った。
すると前妻は顔色を変えて『えっ、絶対に着ない。それならあなたの上着を貸してよ』と言ってオットが着ていた物を羽織った。そしてオットは例のパーカーを着たのだけど。

その時は娘が亡くなってから2年ほど経っていたし、前妻の気持ちにも変化があって娘のパーカーを『ありがとう』と言って着るのではないかとちょっと想像していたのだけど、前妻は頑として『着ない』と言った。
それはそれでいいとして、ヨリミチだったら元夫の服を着る方がイヤだけどなぁ、と思ってしまった。

そして姉妹間の関係も相変わらずのようで、結局言葉の通じないヨリミチとの関係は続いていて、『一緒にいてラクだわ』と言われている。

言葉が通じない限り、この関係は続くのか?!

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