タイ人のオットはカトリック信者で、娘が眠っている霊園に足しげく通っている。(仏教徒はほとんどの場合、火葬後に散骨するのでお墓はない。)
日曜日の礼拝にも、特別な用事がない限りは参加している。

ヨリミチは信者ではないけれどもオットにくっついて礼拝堂に入り、その時間を過ごしているが、別に入信したいわけではない。
が、オットは礼拝堂の中に掲げてあるいろいろなモノについて熱心に説明してくれるので『私は宗教の事には興味はありません』とオットの言葉を遮断した事がある。だけどオットはヨリミチがカトリックに傾いてくれるように勧誘しているのではなくて、ただ自分が信じている物について説明しているだけなのだという。
なので日本にいる間に新約聖書を入手してチェンマイに持って来た。
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毎週あるミサでは、その中のごく一部分が信徒や神父さまによって朗読され、それにまつわる話などをされる。
言ってみればタイ語の聖書も翻訳本なので、部類としては日本語の聖書と同じ。
なのでオットはヨリミチに『次の日曜日は○○の何番と△△の何番の話です』と教えてくれるので、一応予習として(?)指示された文言を読んでミサに行く事にしている。
聖書の中には『ふむふむ、そうだよね。(でもそれって宗教に関係なく一般的な事柄だよねぇ)』という事もあれば、『それはヨリミチの考え方とは違うからずっと理解(許容)できないわね』と思う事もある。
ある時は『働かざる者食うべからず』みたいな内容だった。
それって、神父さまに言われなくたって、一定の年齢以上になったらそういうものでしょ、という感じなのだけど、それまでのオットは『働いていようがいまいが、お金のない人に何かを差し上げるのは当然』と思っていたようで、その話を聞いてから行動が変わった。
というのは、教会が雇っている男性がいるのだけど、彼には少し精神的な障害があり、そういう人を雇う事で教会は社会貢献性を認められ、彼は彼で教会から自分用の部屋と幾らかの労働料金をもらい、一応は WIN-WIN の関係になっている。
が、とにかくその人はまともに仕事をしないのだ。
それは障害が原因なのかもしれないのだけど、掃き掃除をしても辺りは落ち葉だらけ、水を撒けば辺りはビチャビチャ、墓標や飾りが汚れてもお構いなし。
ある時は墓地の通路をシスターが歩いて来られ、その足許をレレレのおじさんのように竹箒で掃くので周りの人にへゴミが飛び・・・みたいな事に。
ヨリミチはお金は労働の対価だと思っているし、オットが霊園に行くたびにどこからともなくその人が表れ、時によってはオットが娘の事を思い出して涙を流しているのに『○○さん、こんにちはっ!』と言って猫のようにすり寄って来るのが解せなかった。

オットは『この人はお墓を守ってくれている人だから』と言って時々お金を渡していたのだけど、昨年の暮れからは余程の事がなければ渡さなくなった。
ようやく『あの人はお金がほしくて僕のところに来てるんだよね』と口にするようになり、それはヨリミチは最初から思っていた事で、それとなくオットにも何度か言ったのだけどスルーされるばかりで。
神様(神父さま)の口から出る言葉でなければ効き目がなかったようなのだけど、取り敢えず気付いてくれて良かった。
