チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

誰が浴衣を縫ったのか

ヨリミチの高校生時代、家庭科の授業で『浴衣を縫う』というのがあった。

自分のまわりでは授業で浴衣を縫ったのは世代的にこのへんが最後で、次の学年からは浴衣ではなくスカートを縫ったのだと思う。

浴衣を縫ったところでそれを着る場があるかどうかという問題もあっただろうし、和裁を教えられる先生も少なくなっていたというのもあったのかもしれない。

最近たまたま高校の同級生と、そしてその数日後には1学年上の人と会う機会があり、授業で浴衣を縫った話になった。
2人とも、当然といった感じで『ヨリミチさんは自力で縫ったんでしょ?』と言ってくれたのだけど、そこのところは全否定。
授業中は自分の手で作業をしていたけれど、浴衣は授業時間内で終わるものではない。

もしかしたら授業(+放課後の自主活動)で全部終わらせたという強者もいたかもしれないが、ヨリミチはそんな人を知らない。

ヨリミチの場合、家に持って帰ってほぼ母に頼んだ。

家庭科で浴衣を縫う時期には美術の授業でも何かの課題があり、ヨリミチは美術の課題を自力で完成させるほうを選んだ。(本来は選ぶものではなく、両方とも自分でやるべき。)

放課後は部活があるので時間も体力もかなり使い、美術の課題だけでもかなりギリギリ。

そんな生活をしていたので母も『仕方ないわね』という感じで浴衣を縫ってくれた。

で、先述の友人は親戚の叔母さんにお願いしたということ。

ところが1学年上の友人はほぼ自力で完成させたというのだ。

この人はかなり真面目な性格で、親に丸投げという選択はなかったのだと思う。

しかも運動部の活動もあったのに、家に帰れば浴衣の製作。で、わからないところはお母さんに聞いて作業をしたとのことなのだけど、授業で配られたプリントとお母さんのやり方(説明)が違ったりすると彼女の真面目さが出てつい喧嘩口調で『そうじゃなくて、こうするんじゃない?』とか『そこがわからないの!』のように言ってしまい、日々親子喧嘩だったそう。それを今になってもきょうだいから『あなたは高校生のときお母さんと喧嘩しながら浴衣を縫っていたよね』と話題にされるらしい。

とにかくその頃の家庭科の授業はかなり大変で、今でも同級生と会ったときに『あのときの浴衣は誰が縫ったのか』ということが話題になる。

ある友人は授業中に『そうではありません』といって先生に糸を切られたとか、家でやったところが間違っていたとかで次の授業中はずっと糸をほどいていたとか。

ヨリミチは授業自体は苦ではなく、友達とお喋りをしながら手を動かしているのが楽しかったという思い出があるのだけど、ということは授業では作業がそんなに進むはずもなく、母はヨリミチの浴衣のほとんどを縫った。

そして提出した浴衣は先生のチェックを受け、『〇〇のところのやり方が違います』というコメント付きの評価をいただいた。先生に鋏を入れられることはなかったけれど、どこかの何かがプリントの指示とは違ったらしい。

そんなわけで先生には自分以外の誰かが縫ったというのはバレていたと思うのだけど、幸いなことに縫い直しは命じられなかった。

浴衣が出回る季節になると、いつもその授業のことを思い出す。

 

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