チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

昨日からのいくつものなぜ

昨日もいつものようにラジオをつけて仕事をしていたら、安倍元首相が撃たれて搬送されたというニュース速報が流れてきた。

結果、安倍氏は命を落とされた。
これはどう考えてもあってはならないことなのだけど、性善説や平和ボケが招いたことかもしれないと思ってしまった。

ヨリミチは暑い時期は昼食をとってから長めの昼休みにするので午後は居間のテレビを見るわけだけど、報道を目にしているうちにいくつもの『なぜ』という思いが浮かんできた。

ある報道によると、安倍氏の背後には関係者しか立ち入れないことになっていたとのことなのだけど、犯人は後ろから近付いている。まあ、『背後に』という表現ではあまりにも範囲が広くなってしまうので『背後、一定の距離で』ということなのだろうけど、だとしても犯人はかなり近くまで近付いていた。
陣営側には『車道を挟めば人が徒歩で近付くことはないだろう』という判断があったのかもしれない。でも、あの程度の幅の車道では凶器を持っているかいないかにかかわらず、暴漢が飛び込んでくることの想定はできる。それなのに、テレビで見た限りでは護衛の人は全員が安倍氏の正面に向かって立っていて、背後の不審者をチェックしているような人はいなかった。なぜ全方位に警備の視線を送らなかったのだろう。数人でも逆向きに立っている警備員がいれば抑止力になったのではなかろうか。

また、世間には『防弾チョッキを着ていれば』という声もあるけれど、たしかにそれはそうだと思う。が、猛暑の中で防弾チョッキを着ることによって健康を害してしまっては本末転倒だし、安倍氏としては聴衆の皆さんと同じスタイル(服装)で、という思いがあったのかもしれない。でも背広を着るのなら内側の一部分だけでも鉄板を仕込むとか、急所だけでも守れるアイテムを使っていなかったのかという疑問が。これに関してはヨリミチが安倍氏の背広を調べたわけではないので完全な想像論だけど。

それと、発砲音が2度あったわけだけど、間隔はそれなりにあった。が、警護の人が安倍氏を伏せさせるとか、安倍氏に飛び掛かって身を挺してガードするというようなことはなかったようで。2回目の発砲音の後、安倍氏は自分でしゃがむようにして倒れたらしい。
一方で、安倍氏の応援演説を受けていた候補者には警備員がすぐに駆け寄ったとのこと。あのような場面では双方にそれがあるべきなのでは?

そして搬送時には呼び掛けにも応じ、という報道だったけれど、それだって正しくないと思う。なぜそのような報道の仕方をするのか。伝える側の原稿がそうなっていたのか、それとも警察や救急の発表がそういうものだったのか。
ニュースを聞く人に少しでも希望を持ってもらうためにそういう文面にしたというのなら、それは虚偽の報道にならないのか。
私だって救護活動時に意識があったのなら大丈夫だと信じたいところだったけれど、それからテレビに映った心臓マッサージと思われるシーンを見てしまえば、あの状態の人が受け答えができるとは思わない。

犯人についてはすぐに取り押さえられ、身元も明らかになったけれど、なぜあのような犯行に及んだのか。政治活動とは関係のないところで憎しみがあったとも言われているが、本当のところはまだわからない。
私は銃のことについてのことはよくわからないのだけど、当初は散弾銃かと言われていたものが実は自作の銃だったとのこと。
そんな物を普通の家屋で作れてしまうところにも驚いた。で、当然とも言えるが銃についての検索履歴も確認されたとの報道。
そういう危険物ではなくたって、例えば私がソロキャンプ用テントを検索したとして、私の希望などには関係なく次の瞬間からスマホにはテントやら他のキャンプ用品の広告などが出てくる。
政府にはデジタル庁というものが新設されたのだから、そういうところの権利とか危機管理という目的で、武装用品とか政府の要人を頻繁に検索している人を要注意人物としてマークすることはできなかったのだろうか。犯人は安倍氏の行動予定を常にチェックして、ときには安倍氏のいるところに足を運んでいたというのだから。

日本は銃を所持するには許可証を交付してもらう必要があるので登録してある銃から身元を割り出すことは可能だと思う。が、今回のように自作の武器が出てきてしまうと許可証とか登録って何?!ということになってしまう。
日本は安全な社会だと言われてきたが、個人レベルで武器を作って持ち歩かれてしまうと安全神話も過去のものになる。
そうならないために、デジタル庁だとかマイナンバーカードだとかで管理できないものなのだろうか。


犯人が安倍氏に対してアンチなのなら、武器ではなく投票所のペンを持ってほしかった。

私は政策や政権に対して不平不満や文句を言うこともあるけれど、よくあるような『誰が当選したって(自分の)生活が良くなるわけじゃないから投票には行かない』なんてことはしない。
自分なりにどの政策が自分の考えに近いのかなどを考え、行ける限り投票には行っている。
明日も行ってきます。

誰が議員をやっても同じだから云々と言っている人々は投票できる権利を放棄するのではなくひとまず投票所に行って、投票用紙に何も書かずに投票箱に入れれば良いのだ。
候補者名や党名を記入しないことが有権者としての意思表示になるのだから。

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