チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

チェンマイのポンペイ?!

昨日の投稿のコメント欄に『ウィアンクムカム』という言葉を残したので、今日はそれについて書いてみようと思う。
・・・のだけど、小学生の頃から社会科の歴史という分野には興味がないというかむしろ拒絶感を抱いていた天邪鬼ヨリミチは、寺院や遺跡や王朝などについて、自分の中で整理もできていないのに説明なんてできるわけがない。

ウィアンクムカム遺跡

  1. 66 53 140 322

https://maps.app.goo.gl/eG4sXqh3tyRBFGnr9
↓これは過去の『地球の歩き方』より

チェンマイのウィアンクムカム(WIANG KUM KAM เวียงกุมกาม)ということろは『遺跡』として紹介されているけれど実は遺跡群で、どうやらまだ大部分が地中に埋まっているとのことで、解明されていないものがたくさんある。
そんなことを聞かされたらその幻の地中都市(?!)のことが気になって気になって仕方ないという・・・。
イタリアのポンペイは火山の噴火によって埋まってしまった街だけれど、ウィアンクムカムはピン川の氾濫によって埋まってしまった都。と言っても『こんなに川が氾濫するんじゃあ都としてここで続けていくのは難しすぎる!』という理由で遷都してから全体が徐々に埋まったのではないか、というのがポンペイとは違うところ。

日本でも奈良とか鎌倉あたりは地面を掘るといろんなものが出てくる可能性があるから家の建て直しをするのも手続きが大変だと聞いたことがあるのだけど、ウィアンクムカムもそんな感じだと思う。
その昔、ピン川はこの地域を流れていたのだけど(水流があるから大きな都になったのだろう)、氾濫が多かったために都としては2年くらいしか機能しなかったらしい。
なので都は移転し、放棄された場所では洪水が繰り返され、建築物の多くは1.5メートルほどの土砂に埋まってしまった。
その後ピン川の流れは西側に移動し、遺跡を覆っている土砂の上には木々が生い茂り、よくあるような林になった。そしてチェンマイの近代化とともに人口が増えてきたときに、市街地が近いということでそこが開拓され、住宅が乱立した。・・・というのの後半はヨリミチの想像。川の氾濫さえなければ住みやすい土地なのだろう。
それまでは『この集落の下には大きな街があるんだって~』という伝説のようなことが言い伝えられていたのだけど、どういうわけか1984年に『この下は本当に遺跡だ!』ということが判り、調査を進める計画が持ち上がったのだけど既にそこは人々が生活する場所になっていたため盛大に掘り起こすことができず、住民の生活に支障がない範囲で発掘作業をしたらしい。
なので遺跡と住宅が混在している状態で、全容は解っていない。
そんなわけで今では個人所有の土地の下に塔の台座や寺院の基礎材がある状態で、そうなると詳しい資料を発見することも難しく、寺院の名や役割がわからない。なので『ワット・〇〇(タイ語で〇〇寺院)』の『〇〇』は現在の住民とか土地の所有者の名前を暫定的に入れてあるところもある。

遺跡群として見ると、広さはチェンマイ旧市街(約2キロ四方)より大きく、東西約8キロメートル、南北約6キロメートルとのこと。しかしアリの巣状に拓かれた道に民家が密集しているので地図を持っていたとしても方角を見失いやすい。そんなところに突如遺跡が現れたりするので気持ちが追い付かない部分もある。が、遺跡だけを見るとスコータイ方面のガムペーンペットの雰囲気があったり。

西洋人はよくガイド付きのバイクツアー(宿泊先から自転車で出発)で巡っているけれど、個人で行くなら最初にワット・チェーディー・リアムか案内所に行って、そこからトラムか馬車を使うのが効率的とも言える。

↓旧市街との位置関係

↓少し拡大

ソンテオなどではなく自力で案内所に行くときは川沿いの道ではなく108号線(エアポートプラザからハンドン方向)を進み、BIg-C の交差点を左折するほうが遠回りだけどわかりやすい。
ワット・チェーディー・リアムへはマヒドン通りをエアポートプラザ方面に進んでいると『ウィアンクムカム』という看板がいくつか出ている。
106号線(チェンマイ・ランプーン通り)の89プラザ近辺にも『ウィアンクムカム』という看板があるが、そちらからは住宅地を抜けて行くことになる。

私は案内所には立ち寄ったことはないのだけど、遺跡群はずっと前にオットが案内してくれた。たしか当時はガラケーでいろいろ撮影したが、そんな画像も消えてしまったのか自ら消したのか・・・。そのときはこんなブログなんて始めるとは思っていなかったので、画像に対する思いも薄かったのだろう。

ワット・チェーディー・リアムは氾濫の被害が少なかったのか、全体がきれいに残っていて、仏塔も本堂も見学できる。
コロナ禍以前はいつも中国人観光客専用の大型バスが何台も止まっていて賑やかだった。

ここはマンラーイ大王が第二夫人のために建てたとのことで、仏塔は女性らしさを表現しているようなデザイン。この都が栄えていたときはミャンマー(ビルマ)もかなりの勢力があり、交易が盛んでそちらの文化を取り入れることもあったため、仏塔はビルマの要素が強い。
・・・というのはオットの説明で、説明が長くなると私は空返事のようなことをしてしまう。
そこでオットは『ヨリミチさん、上の空だね~』などと言うのだけど、私にしてみれば聞いているけれどこっちの耳からあっちの耳に抜けてしまっているだけ。歴史というものに興味を持たずに成長してしまったのだから、仕方ない。オットには最初にそれを伝えてあるので『僕の説明が下手なんじゃなくて、ヨリミチさんが遺跡の話に興味がないだけ』と理解してくれているのでオットが怒ることはないのだけど。

そんな私でもここまで文章を書けてしまうのは、何度も何度も馬の耳に念仏を唱えてくれたオットの努力の賜物か?!

あるときオットに『ウィアンクムカム』と言ったら『発音が違う!』と言われてしまった。
そのときは何も意識しないで『ウィアンクムカム』と言ったのだけど、『カ』が違うのだと言われた。
カタカナで表すタイ語のカ行は『K』の音と『KH』の音がある。
そのときに私がどちらの音を発したのかを自分でもわからず、『え?』と思っていたらオットが『テコンドーの「コ」のときと同じ音だよ』と言った。が、テコンドーはお互いに外国語だし、タイ人の発音するテコンドーと日本人の発音するテコンドーが同じかどうかもわからない。なので当てずっぽう(?)で『ウィアンクム「カ」ム』と言ってみたら、当たった。
結局、ウィアンクムカムの「カ」は「ก」ということ。
それ以来、ウィアンクムカムというとテコンドーを思い出してしまう。けど、テコンドーの「コ」もタイ語では ก なのか?

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