チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

母への思い - オットと私

先日はオットの叔母の誕生日で、関係する親戚が連れだってお寺に行ってお祈りや感謝をして、その後オットの従姉(叔母の長女)の家で食事をしたとのこと。
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↑ピンク色の服を着ているのがオットの叔母

オットの母は3姉妹の長女。今回誕生日だったのは三女の叔母で、83歳。オットによると姉妹はそれぞれ3歳違いだとのことなので、オットの母は存命なら89歳。だけどオットが高校生になった年に亡くなってしまった。

オットは末っ子だったし、両親が離婚したときにはまだ小学生だったので母親に引き取られ(とは言っても父と母はすぐそばの家に住んでいたのだけど)、いわゆるお母さんっ子だった。
それは今でも変わらず、事あるごとに『お母さんに会いたいなぁ』と言っている。
なので叔母の誕生日を祝ったときにも母のことを思い出して淋しくなったのだとか。

そんなオットとは反対に、私はお母さんっ子とは対極のところにあり、私から母への感情は実にサバサバしたもの。なのでオットからは『もっとお母さんを大事にして下さい』と言われることもあるのだけど、私が見るオットは自分の中に母親の理想像がものすごい大きさで占めていて、それはオットが幼いときに思っていた母の存在がそのまま大きくなって、オットが成人してからも『母とはこういうもの』という幻想というか偶像に近いのではないかと思う。

私は母にとっては長子で同性だし、近くで母を見ながら成長するにつれてまったくの別人格となり『親子だから似ているわね』と言われるようなところもなくなってきた。私とは逆に、妹は昔から母に似ていて、それは容姿もそうだし、考え方や行動も私には母の路線だな、と思えることが多かった。

多分オットがオットの母に対して抱いている思いは私の妹が母に対して抱いている思いとわりと似ていて、良い意味で『お母さんが絶対的な存在』なのだと思う。
しかし私は幼少期から『母は母。私は私。だから母は私ではないし私は母ではない。』というようなスタンスで、家事などでも共感できないところはあるし、今までの人生の分岐点での選択や悩みを母に相談するということもなかった。小さい頃からそんなふうだったし、これからもそれは変わらないと思うので、今さら心のよりどころを母に求めることもないと思うし、今までのことやそうなった自分に後悔はしていない。

だけどそういう考えをオットに伝えたところでオットは『それはヨリミチさんが冷たすぎます』と言いそうだけれど、オットは母親との関係としては末っ子の異性だし、私と母親との関係性は長子の同性。そもそもの土俵が違うので、意見が違って当然ではあるし、将来的にも平行線のままだと思う。

そんな人間関係ではあるけれど、オットがそんなふうなので私の母にも『お母さん、お母さん』と言って末っ子お得意の愛想を振り撒くし、もともと面倒見の良い母は母で『長女(ヨリミチ)よりも可愛げがあるわ』と思ってくれているようなので、私としては助かっている。

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