チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

分ける? 分けない?

昨日の投稿でサラッと触れたことなのだけど、日本だと自宅に約束済みの来客があり、お菓子などをいただいたときにはそれを出してお茶を飲むとか、『その日のお茶菓子』にすることが多い。
しかしタイでは、少なくともオットの周りでは、『お菓子などをもらったらそれはその人の完全な所有物となる』という概念があり、その場で分けるとか共有するという習慣がないようだ。
それと似たようなことで、たとえば旅行に行ったときのお土産も『Aさんの家に1個、Bさんの家に1個、・・・』というのではなくて、『Aさんの家は3人家族だから3個、Bさんは2人家族だから2個、・・・』というふうに頭数で考えるようだ。そんなことをしていたら、ちょっと間違ったら破産しそうだし、人数のカウントを間違ったら人間関係にひびが入りそうだし、私としては受け入れるのが難しい習慣ではある。

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タイではなぜいただいたお菓子をそこにいる人と共有しないのか、私なりに考えたことがある。

タイは人々の貧富の差が大きいので昔から『お金や心に余裕のある人は金銭的に困っている人に物を恵んであげる』という風習がある。それが近年まで残った結果、路上の物乞いがあちこちにいることになったと思うのだけど、それを逆手に取って日中は普通に働き、夕方からは(それっぽく見える物に)着替えて路上に出ていく人もいたそうな。場合によっては昼間のサラリーよりも夜間の月収のほうが高いこともあったらしい。
今は法律で路上生活(物乞い)を禁止しているそうなのだけど、コロナが発生してからどうなっているのか、実情はわからない。

という感じで一般市民にも『物をもらったらそれは自分の物』という固定観念があり、『ありがとう』と言って受け取るだけなのだろう。

生活に困窮していなくても、タイでは『お金を持っている(と思われる)人に払ってもらうのは当たり前』なので、オットの3番目のお姉さんは帰省するとあちこちから食事のお誘いの声がかかるというわけ。

これはこれで他の民族でもそういう風習のところはあるし、払う人が文句を言わないのならそれで社会が成り立っているといえるのだろうし、むしろ『もらった物を、それをくれた人と分ける』というのは不自然なのかもしれない。

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