チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

今でも後悔している作文

私は子供の頃から文章を書くのが好き・・・というよりは、苦にならない人だった。
だけどどうしても夏休みの宿題『読書感想文』は好きになれず、本を読むところまでは順調に進むのだけど、そこから先が全然進まない。
今なら当時とは別の角度から『感想文』というものを捉えられ、どのように書けば感想文としての役割を果たせるのかということを頭の片隅に置きながら文章を書けると思う。(が、自信はない。)
小中学生時代は本をまるまる1冊読んで『あぁ面白かった』とか、『〇〇は役に立つ内容だったなぁ』とは思うのだけど、『どの場面でどのように思いましたか』などと問われると、いろんな場面でいろんなことを想像しすぎてうまくまとまらない、という状態だった。『特にどこが印象に残りましたか』と言われても同じようなもので、いろんなことが次々に浮かんできて『特にどこが』というのを絞れなかったり。
挙げ句の果てには『私が本を読んだということは事実なのだから、その感想を発表しようがしまいがこちらの勝手じゃないか』という感情が湧いてきて、なぜ感想を報告しなくちゃならないんだ、という気持ちでほぼ殴り書きのように当たり障りのない『〇〇の場面では、私だったらこうしたと思います』のような文を書いて提出していたと思う。

それとは別の話なのだけど、何十年も経った今でも後悔していることがある。

それは小学1年生のときの作文。
私が通っていた小学校では1年に1回、クラスで選ばれた児童の作文で構成された文集が作られていた。
その当時は子供だったので詳しい条件はわからなかったのだけど、1年生は1クラスから2名くらいだったと思う。
その文集に私の作文が載ることになり、担任の先生が『この作文を載せますね』と言った。
それは国語の授業で書いたもので、『家族に手紙を書きましょう』のようなものだったと思う。

そこで私が書いたのは『にわとりさんへ』というもの。
その当時、家ではチャボを飼っていたのでその中の1羽を思い浮かべて手紙を書いた。
クラスメイトは『おとうさんへ』とか『おかあさんへ』が多かったのではなかろうか。そんな中で『にわとりさんへ』なのだから先生の目をひかないわけがない。
内容はごくごく普通で、『おばあちゃんの家からもらってきました』のような説明をしてから『わたしはにわとりさんが大すきです。これからも長生きしてください。』で終わる。
もしかしたら、羽根が光って格好良いだとか猫に気をつけてください、ということも書いたのかもしれない。

ともかく、チャボに宛てた手紙が文集に載ることになり、数日後の掃除の時間に先生が私のところにやって来た。
そして『ヨリミチさん、最後のところを「~おいしいたまごをうむにわとりさんが~」にしていい?』と訊かれたので『はい』と答えた。
実は少し違和感をおぼえたのだけど、深く考えずに先生の提案を受け入れてしまった。

そして文集に載った作文の最後は『わたしは、おいしいたまごをうむにわとりさんが大すきです。これからも長生きしてください。』となった。

家のチャボは雄も雌もいたので卵を産んだりときどきヒヨコが孵ったりもしていたのだけど、私が手紙を書いたのはその中でもボス格のオンドリに、だった。なので私が思い浮かべて手紙を書いたにわとりさんは絶対に卵を産まない。
作文の中でそのにわとりさんがオスだということを書かなかったから先生は『ニワトリなら卵を産むだろう』と想像してあの文言を付け加えたらどうかと思ったのだろうけど、そもそもあの作文は『家族への手紙』であって『家族の紹介』ではない。だからそのにわとりさんはオスなのだということを書かなかったのだけど、それが原因で(?!)その後何十年もモヤモヤする結末になってしまっている。

先生が『ニワトリ = 卵を産む』と思うのは仕方ないとして、どうして私は深く考えずに先生の提案を受け入れてしまったのか、どうして私は『手紙を書いたのはオスのにわとりさん宛てです』と言わなかったのか。『言えなかった』のではなく『言わなかった』のほうが当時の感情に近い。そのときは『卵を産むか産まないかはどっちでもいいや』とも思ったのだけど、やはり自分が書こうと思っていたこととは違うことが文集に載ってしまったというのはちょっと気持ちが悪かった。

こんなふうに何十年も後悔に似た感情を持ち続けることになるのなら、あの場では先生に従うべきではなかった。
もしも過去にワープすることができれば、あの日のヨリミチに『先生がこういうことを言っても「うん」と言ってはいけません』と言ってやりたい。
でもその意味をわからずに1年生のヨリミチは先生に「はい」と言ってしまうんだろうな・・・。

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思い返してみれば、私は小さい頃から誰かに手紙を書くのは特別なことではなかった。
1枚だけ残してあるマイメロディの封筒は、1歳違いのハトコのお姉さんに手紙を出したときのもの。
それからも友達や先生や祖母宛てにたくさん手紙を書いた。
だけどどんなに手紙を書いてもあの『にわとりさんへ』の後悔は消えない。小学校の倉庫かどこかにあの文集というかヨリミチの黒歴史(?!)はまだ保管されているのかもしれない。

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