チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

オットに言わないようにしている言葉

タイ人のオットとの会話はほぼ日本語で、その点に関しては本当に感謝している。
というか、オットが日本語を喋れたので知り合ってから関係が続いたし、結婚に至った。

しかしオットの日本語がネイティブ並みかといえばそうではなく、『外国人が喋る日本語としては上手なほう』といったところ。

おかげさまでオットとの生活は日本語で完結できる環境ではあるけれど、日本語で生活できるからと言って、日本の常識をそのまま生活に持ち込むことはできない。
タイでタイ人と生活するには、やっぱりタイでの常識を私が受け入れる必要があるし、そうしなければご近所の人々ともうまくやっていけるはずがない。

だけどオットも自身をジャパンナイズしたい欲があるので私も知らず知らずのうちに日本での習慣を持ち出したくなっている自分に気づくことがあるのだけど、いつの頃からか意識してオットに向かって言わないようにしている言葉がある。
それは『普通は、』という言葉。

私が日本人として『普通』と思うことでもオットにとっては『それは日本人のやり方でしょ』ということが結構あり、それはあまりにも日常的な風景の中にあるものなので具体的な例を挙げることは難しいけれど、今思い出したものでいえば、バレーボールの試合をテレビ中継していて、セットポイントのところでデュースが続き、一瞬たりとも目を離せない場面なのに時刻は18時になり、そこでテレビ画面はタイの王室の映像に切り替わって国歌が流れる・・・。そして国歌が終わると画面は再びバレーボール中継になるのだけど、あれ?これはもう次のセットが始まるの?さっきのセットはどっちが勝ったの??ということになる。

こういうのは日本では考えられないことかもしれない。国歌の時刻をずらせないのなら、先ほどのセット終了時の録画をハイライトで流すくらいはするだろう。しかしタイはそんなサービスは単なる労力の無駄。国歌の時間に試合がそういうことになっていただけなのだし、王室や国歌は何よりも優先させるべきもの。
それ以上でもないし、それ以下でもない。

日本だったら『普通は国歌で隠されてしまったところを後でハイライト映像で流すでしょ』となるが、それは日本での『普通』であって、タイではそうではない。

外食の場面でも、たとえばビールと肉料理などを頼んだとして、日本だったら最初にビールが出てくるのが普通。しかしタイではお店側の都合で最初に何が出てくるかわからない。これが案外普通。しかもビールを頼んだら氷の入ったグラスを提供されるのがタイの普通。

日本人がタイで暮らすとなると、『普通は~』という言葉を封印しないとやっていけないかもしれないし、日本の『普通』の感覚をタイ人に求めても、相手はその意味を理解できないかもしれない。

以前タイ人から『日本人はどうして1日3回決まった時間に食事をするの?』と言われた。どうしてと言われても、それは日本人の『普通』だから。しかし『どうして』と聞かれるということは、タイ人の『普通』ではないということだろう。
そのときは私なりに考えて、日本人の食事は1回の量が多いから、食事の時間以外にダラダラ食べたりしません。タイは1回の食事の量(1人前の量)が少ないし、常におやつを食べているから1日の摂取カロリーは日本人もタイ人も変わらないと思います、と答えた。
これは、日本人がきちんとしているとかタイ人がだらしないという話ではなくて、気候風土や習慣によるものだと思う。日本もタイも米飯を主食にしているけれど、日本は握り飯にして梅干しや笹の葉で抗菌すれば長時間の保存が可能だけど、タイは食糧を持ち歩くというのは食中毒の危険性が高い。それに昔は灼熱下での生活しかなかったのだから、体力維持のためにはちょこちょこ食べるほうが労働効率も良かったのだろう。

結局そういう昔からのことがお互いの『普通』となっているのだから、自分の思う『普通』が相手の『普通』だと思わないほうが良い。

それに今は日本人どうしでも個人個人の『普通』というのはかなり多様化してきているし、たとえば私と同年代の女性でも会社員、公務員、専業主婦、フリーランスなど生活環境もさまざまだし、会社員と一括りにしても、そこで四半世紀も働いていれば会社のカラーに染まる人もいる。プライベートでも既婚や未婚、子どもの有無や、それまでに出会った人からの影響などで、個人の中にある『普通』はあくまでも個人のものだと思う。なので私は年齢を重ねるにつれて、家族やごく近い友人にしか『普通はさぁ、~』と言わなくなったかもしれない。特にオットと個人的な関係になってからは、『普通、って何なんだろう・・・』と気持ちの中で立ち止まることが増えた。

だけどタイでいちばん困る『普通はこんなことしないよね(心の声)』は、バイクの逆走。
左車線の左端の遠くに見えるゴマのようなものが、みるみるうちに距離が迫ってきてこちらの左肩をかすめてすれ違う、なんてことはよくある話。
あまりにも危ないので『普通はしないよね』と言いたくなるけれど、そこはタイ。どこでも逆走(というか、自由な走行)があるのが普通。
ある程度タイの『普通』を心にとめて行動しないと自分の身(場合によっては命)が危なくなるので、タイではひとつひとつのことを『これはこれ』として捉えるようにしている。

他にも、マンホールの蓋が地面より数センチ高いところにあるとか、電信柱を通っている電線が束になった状態で人の手が届く位置まで下がってきているとか。
そういうことをオットに『普通はこんなふうにしないでしょ』と言ったところで、オットからは『ヨリミチさん、ここはタイだよ』と言われるだけなのだ。

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