チェンマイの家には日本からいろいろな物を持ち込んで使っているのだけど、わりと早いうちに包丁とまな板を持ち込んだ。
タイにも包丁とまな板は売っているし、家にはオットが使っていた物もあるのだけど、オットの場合は果物ナイフのような物で全てをカバーしていた。というか、基本的にタイ人は自宅で調理をしないので、普通の包丁が必要な場面がないのだろう。
持ち込んだまな板は何かの粗品でいただいた物だったと思うのだけど、わりと小ぶりな、厚さも1cm程度のもの。
あるとき、それを使ってりんごを切っていたら当時小学生だったオットの娘が『まな板がどうしてそんなに薄いのーっ?!』と言って大騒ぎしていた。考えてみれば、タイの屋台などで目にするまな板はマンゴーの木の幹を切ったもので、厚さが10cmくらいある。板ではなくて台というほうが近い感じ。そういうまな板しか知らない子供にとっては、1cmそこそこのまな板は貧弱に見えて役に立たないと思ったのかもしれない。
日本人はあんなに力任せに食べ物をバンバン切らない温厚な民族だから薄いまな板でいいのよ、と皮肉を込めて言いたいところだったけれど、その言葉は飲み込んだ。
タイはフルーツカービングやソープカービングなど、繊細なナイフ捌きをする芸術が存在するのに、なぜか食料に対しては扱いが雑。
肉や根菜などはパンッパンッパンッと、ある点に包丁の刃を命中させるように切っていく。なので厚いまな板でないとどうにもならない。
果物の皮をむくときも、日本人だと自分のほうに刃を向けるように教わると思うのだけど、タイ人は向こう側に刃を押し出すようにして皮をむく。
↓マンゴーをむく私
↓グラトーンをむくオット
日本の鋸は引いて切るけれど、西洋ノコギリは押して切る。これは扱う木の硬さの違いなども鋸の刃のつくりが違う理由だけれど、それ以外にも少し日本人らしい心理的な理由があるのかな、と個人的には思っている。
危険物を手にしたときに、いかに他者に被害が及ばないようにするかという気遣いが道具の使い方に表れているのかもしれないと思うと、自分は日本で生まれ育って良かったなぁ、と思う。