チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

あの日の地震を経験して、私は何を思ったか

3月11日。
言わずと知れた東日本大震災が発生した日。

あの日私は自宅(実家)から2時間くらいの場所で用事があって、電車とバスを乗り継いで出掛けていた。
そんなところでの大地震
往路が2時間のところから復路は10時間かかって帰宅することとなった。


出先での用事が終わって、帰路についたところで地震が発生。電車が動かなくなってしまったので臨時便を含めたバスをいくつか使って移動し、家にいた親とも連絡を取って、父が車で私が辿り着くであろう駅まで迎えに来てくれることになった。

その前年に父は大きな病気をして、回復途上だった。その日は知り合いとバス旅行に行くことにしてあったのだけど朝になったら微熱があるように感じたそうで、当日キャンセルしていた。そんな父が車で迎えに出てくれた。
ちなみに、父が行く予定だったバス旅行は東京の名所巡りで、東京タワーや建設中のスカイツリーを見学し、築地市場増上寺などを巡るという内容。その途中で地震が発生し、旅行客は築地界隈の小学校に避難して一夜を明かした。お客さんは高齢者が多く、具合が悪くなった人は近くの聖路加病院に移動して休ませてもらったとのこと。もしも父が旅行に参加していたら聖路加病院チームになっていたかもしれない。

実は父の病気が判る前に、私は実家を出て一人暮らしをしようと密かに準備をしていた。一昔前(いや、三昔くらい前?!)にパラサイトシングルという言葉があったり、最近も『子供部屋おじさん』なんていう言葉があったり(私の場合は『子供部屋おばさん』?!)するけれど、自分で自分をその括りにならないようにするためにするには家を出ることだな、と思ってのことで。
ところが本格的に物件探しをしようというタイミングで父の病気が発覚し、そこから入院、手術、療養。母ひとりでは負担が大きすぎるものだった。
親がそんな状態なのに家を出るわけにもいかず、計画は凍結。

父の体調が戻ってきて、万全でない中でも調子の良いときは外に出るようになってきたので私も物件探しを再開しようとしていたら、あの大地震

震災後は計画停電や電車の間引き運転があったし、余震も結構続いていたので、わざわざそんなときに家を出ることもないかな、と思ったし、また大きな揺れがあったとして、そのときに父の体調が悪かったらマンパワーが必要になるので母だけに頼んでしまうのはよろしくないな、と思ってしばらくはおとなしく実家にいようと思った。

震災があった時点で私は自分の人生から結婚という選択肢を外していたし、こうなったら実家に居座る覚悟をしてもいいのかな、と思ったりもした。
・・・しかし何年かして父の体調もほぼ戻ったので私はまた家を出る気分に傾いていったら・・・
なぜかまた父に別の病気が発覚し、入院、手術。幸いなことに、このときは療養は長引かなかったけれど。

そんなわけで、親の病気もそうだけれど地震などの天災で親も自分も生命の危機に遭遇する可能性は皆無ではない。
親も自分も若ければ離れて暮らしても問題ないとしても、親が高齢になってくると離れて暮らすことのデメリットが大きくなってくる。
家の中での作業なども高齢になるにつれて大変になるし。


あの大地震のときに体調の悪さをおして私を迎えに出てきてくれた父のことを考えると、世間体だけが理由で別々の家に住まうこともないかな、という思考になり、私は実家に腰を落ち着けることにした。


・・・が、その後チェンマイでオットと出合ってしまったのだけど。

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