チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

何と説明したらよいものか

昨日のオットからの質問。

いっしょうけんめいって何?

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最初は『けんめい は何ですか?』というメッセージで、画像を見たらドラえもんひめくりカレンダーのページだったので、『一生懸命です』と返信したのだけど、それでも正しい意味での『一生懸命』を理解できたかどうか。

あの絵を見たオットは『いっしょう』と『けんめい』を別々に理解しようとして、『いっしょう = whole life』、『けんめい = ・・・?』となったと思うのだけど、『一生懸命』をタイ語の辞書で調べても私にはそれが本当に一生懸命に通ずるものなのか理解はできなかった。おそらく『心血を注いで』のような訳なのだけど。
オットが使ったであろうGoogle翻訳だと、『一生懸命 = ยาก(= 難しい)』と出てくる。これは、ハード(hard)なことという意味での単語なのか、それともタイ語に翻訳するのが難しい、というGoogle様の意思表示なのか。

結局私はオットに電話して、一生懸命っていうのは頑張ること、できないかもしれないことを頑張ること、でも『一生懸命頑張る』という言い方もある、と伝えた。
一生懸命勉強する、とか、一生懸命走る、とか。
するとオットから『一生懸命食べる、は合っていますか?』と聞かれた。まあ、間違ってはいないけど、あんまりそういう場面はないかな・・・。なくはないけど。

このブログにもしばしば書いているが、タイ語は語彙が少ない。
生命、人生、生活、命は同一の単語『ชีวิต』で表され、英語の life と同じだと言ってしまえばそれまでなのだけど、日本語では命と人生では連想する像が違う。

一生懸命を『命をかけて』という言い方もあるかもしれないが、日本語だとそれはわりと軽めな、実際はそんなに命がかかっていない場合が多い。
だけどタイでは本当に命がかかってしまうほどの『一生懸命』が容易に想像できてしまうので(子供を学校に行かせるために病身なのに畑仕事を頑張る親、とか、親族の入院代を稼ぐためにムエタイ選手になる青年、とか。)説明には適切ではない。
特にカレンダーののび太くんが『嘘をつくことに一生懸命だった』なんてことになると、タイ人としては、子供の嘘にどうしてそんなに命がかかってしまうの?と思うだろう。

そもそも、軽い意味での『一生懸命』はタイにはないのかもしれない。よく言われる国民性としては、ぐうたらで努力することを考えない、ということだから。どうやったらラクをできるかという空気の中で生きている人に『一生懸命』を説明するのは難しい。
それこそ『一生懸命』の意味を一生懸命考えないといけない。

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