チェンマイよりみちの記録

タイ・チェンマイに寄り道する人生を選択した個人の記録です。私、ヨリミチ(仮名)が日本やタイからお届けします。

軽いバトンを渡すか、重い鉄アレイを渡すか

先日見たある人のブログに、実家の片付けについて書いてあった。
私もいずれは親の持ち物を整理・処分するときが来るのだろうけど、それよりも先に自分のことについて考えないといけないなぁ、と思った。

今、私は実家に居候しているというか、端から見れば出戻り状態。昨年タイに渡航したときは、タイの居住ビザが取れたら次の日本への帰国中に自分の荷物をまとめて、タイに発つときには実家の『自分の部屋』を明け渡すつもりだった。
それがコロナ騒動により慌ただしく日本に戻ることになり、次のタイ行きは未定。予定ではチェンマイの家の収納などを確認して、日本から運び込む物を決めるはずだったのに。日本に戻ってから結構な月日が経ったけれどコロナの収束が見えてこないので、再び『自分の部屋』での生活に落ち着いてしまっている。

それでこんなふうに日々の出来事や思い浮かんだことを個人のブログに綴っている中でいろいろな人のブログも目にするようになり、タイトルの『軽いバトンを渡すか、重い鉄アレイを渡すか』に出会ってしまった。
要は、個人の所有物をある程度整理しておかないと、後々に家族や親族に負担を強いることになる、ということ。
その文言を書いたブログ主さんはお母さまから生活用品や趣味の物をほぼそっくりそのまま遺され、それらの扱いに時間も体力もお金も使うことになってしまい、そこでお知り合いのかたからあのような名言をいただいたとのこと。

それで私も親のことを言う前に、自分の身の回り品をどうにかしないといけないわ、とハッとした次第。
年齢的にいえば親のほうが先に逝く可能性が高いけれど、私は自分の最期が日本になるのかタイになるのかわからない。というか、私の感覚として、タイで過ごす時間が長くなると日本での日常よりも死亡リスクが高くなる気がしているので、私のほうが親よりも先に人生を終えてしまうかもしれない。タイは交通事故も多いし、狂犬病や毒虫・毒蛇も日常の中に存在している。食べ物に関してだって、食中毒にかかっている人なんてそのへんにいくらでもいるのだから。
私の場合はタイ人と結婚しているので、タイにいる間に寿命を迎えるというのはかなりの確率で起こり得ると思っている。
とは言っても現実的にはビザの制度の関係で、配偶者(オット)が亡くなったら私の滞在資格がなくなるので、一般的に言われる『老後』には日本にいるかもしれないが。

どうなるとしても、もしも今の状態で実家を離れて、それが最後になることになれば親や妹に『重い鉄アレイを渡す』ことになってしまう。
まさにあのブログ主さんのお母さまと同じような状況なのだ。特に、趣味の物。私の趣味の物は、妹が使うとは思えないし、妹の生活に役に立つとも思えない。自分で現状を見てみても、本当にあのブログ主さんのお母さまを他人とは思えない状況なので、だからあの言葉が胸に響いたのだけど。

お花畑のような心で希望を言ってしまえば、実家にある『趣味の物』をすべてチェンマイの家に運び込んで、そちらで悠々自適なときを過ごせたらいいな、となるのだろうけど、あいにく私はどんなシチュエーションでもお花畑のような心は持ち合わせていない。自分でもわりと現実的な思考の持ち主だな、と思うのだけど、部屋にある『いつか使いたい物たち』はその現実的な思考とは乖離がある。

この文章を書きながら目線を上げてみると、自分の部屋にあるいろいろな物が鉄アレイのように思えてきた・・・。
親や妹のために、時間に余裕があるうちにそれらの行き先(処分・売る・差し上げる・確実に自分で使うなど)を決めなければ。

ひとまず(?)ブログ用の画像を、と思って物を積み上げて撮影してみたけれど、これはほんの氷山の一角(にもならないくらいの量)。

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